口上の見出し画像

私が初めて水墨画に出会ったのは、小学四年生の時だった。
学校の図書館で借りた「雪舟」の伝記の中に掲載されていた、小さな口絵の山水画に大きく人生が決められてしまった。
全く魂を奪われてしまい、子供心に陶然とした。

しばらくしてから、近所の老人ホームに墨絵を描く方が入居しているのを母親が聞きつけてくれて、その方に初めて墨絵の手ほどきを受けた。「片田晴峰」と云う名の九十歳に近い女性の先生だった。
しかしそれは指導と云うものでもなく、たまにお菓子か何かを手土産に部屋を尋ね在室されていれば描くところを見せて
もらっていたに過ぎないのだが、今思えばその先生からの影響が決定的に私の絵画観のベースになっている。
自分の描いている墨絵が「南画」というジャンルだと云う事もその時に知った。


その後、どうしても正式に指導を受けたくて小学六年生の時、ある画材屋さんの紹介で南画家の松島棗里先生に入門した。
松島先生には中学、高校を通して指導を受け以来五十年、不真面目ながらもコツコツとやって来た。
南画を現代の美術から見れば、時代から見放された絵画である。
日本画が「描く絵画」から「塗る絵画」へと移行した時、南画の役割は終わった。
南画がパターン化し、没個性になったもの一因ではあるが、個性的な作品が第一主義であるのなら私が描く絵画は芸術では無い。

私自身、芸術家では無いのだ。そもそも私は南画を伝統芸能として促しているのでアーティストの意識は、ほぼない。
今後も一芸能者、一職人として市井の中で暮らして行く。還暦を迎える私には、細いながらも真っ直ぐに延びる道しか見えていない。